野口トルストイ親子のブログ

野口トルストイ親子によるブログ。母小梅、その次女サナこ。

〜生まれた町のかおり 第6話〜 サナこの物語

もう、毎日の楽しみです!
野口トルストイ親子さんが、今日も同じこの空のした、生きている。
また、自分も家族のもとにかえれるよう、ブログをはげみにします。
初対面で緊張してたのが、うそのようです。

(42歳 派遣 男子)

 

 

サナこの物語 第6話
話題独占

 


幼稚園から大学まで、小学校以外は、私立でした。
小学校がびっくりなのか、他のが、びっくりかわからないけど、いろいろみました。

私立のまわりが
お嬢さまの、学校で
親は医者か
パイロット
すむところは松濤
など。

一時うちは、父が無職だったことがあり、あれ?みたいな感じだった。

あれは、リーマンショックかなんかだろうか、忘れた。
父は、プールで泳いだり、やっと仕事しようか、だったり、
母も働く気配もなく
家にいた笑


父は、眼鏡屋さんで働いてたりした。

いま、思うとコミュニケーション能力がとてもないので、金融など特殊なの以外は、苦労してたようだ。

 

父が海外の仕事に行き
そこから、母は精神世界にのめりこんでいた。

一時は何も自分でできなくて、白髪がふえ、かわいそうだ、ったが、すぐに
ピンピンし始めていた。


父のいるプノンペンにはいかず、飛び越してパリとかに勝手に旅行にいっていた。

究極のすれちがいスキル


そんなに、きらいだったんだな。

両親が会話もないと、わたしもあまり、おこられることもなく、中学では、バトミントン部にはいりました、きりっ!

二年間で、1セットもとらず、あえなく退部。
練習のあと、三年生が、全体説教
三年生がかえると、二年生が一年を説教
そのきれいな上下構図がきもかった。


わたしは、寝るか部活をしていました。ポテチを食べすぎコレステロールがあがったり。長い夏休みや、冬休みは、
母となぜか、マージャン。

姉さんは、元気もので
パクられたり、
いわゆる補導ってやつですか?

警察によばれたり、騒動はあった。

ドーホのパクーリーの

母が厳しく
父はカードをわたし

姉は歌舞伎町であそんでいますた。

母とおばあちゃんが、
姉を尼寺か戸塚ヨットスクールにいれようかなど談義してました。

母そのころ、パニック障害発症。

わたしは、
茶道
ピアノ
バレエ
まじめ
お利口

いろいろしていました。

とばっちりがこちらにこないよう。


そのころの格言は

触らぬ神に祟りなし


母は父がいなくなり
光が丘にひっこしてからは
ききとして日本語教師などをはじめてました。

水を得た魚

姉も、禁煙もし
わりと落ちついた日々だったかな。

お姉ちゃんは、どうやら母の実家の教育熱トラウマの被害者かな、お受験はホラーでした。みてて。
わたしのときは、絶対お受験しないと決めたようで、楽々のところ、推薦の学校へときまりました。


なぜか、姉の発案で

わたしは、おこられたことがない
それは、よくない
不条理におこられてみなさい
てことで、姉は絶対権力者なので、
わたしは瞬間行動し
たこ焼き屋のバイトをはじめました。

たしか、高3で一学期からもう、内申で点がとれてたので、
社会勉強しろ、と親からもいわれました。

たこ焼き屋さんでたくさん、食べれてうれしかったです。

近所に個人塾のバイトもあり、医学部受験の子に物理を教えていましたが、なぜかは、わすれたけど、やめました。


あと、よく家族には寝ぼけることを、心配されました。
夢の寝言のつづきを、あるきながら、やってるようで、夢遊病の気ですかね。


ねぼけでは、さんざん笑われました。

そういえば、姉は学年末で、2点をとってきて、母からめっちゃ袋叩きにおこられ、毎晩勉強を二人でしてておかしいような、こわいような、わたしは、オヤツの時間、猫とゴロゴロでした。


一度テニスの合宿のあと、救急にかけつけたことがあります。死の腹痛です。

結果はおならを三日くらい、我慢したからでした。
母から、人前でおならをしてはいけません、といわれていたので、守っていて、救急に運ばれました。

あとで、平成の子は、、
そんなこともわからない、。
と、昭和の姉と母が話してて、むかつきましたね。

 

私を可愛がってくれたおじいちゃんは、バレンタインデーになくなりました。
看取りをしました。

その前に母とルルドバチカンで、巡礼していました。
その時の母はほぼ錯乱してました。

おばあちゃんもおじいちゃんも、入院
参勤交代のように、私たちも、よく宮城にいきましたが、
母がいないときは

冷凍食品
コンビニ
からあげくん


いても、ひどいことは多々ありました。

母はこどもに食べさせるより、自分のおしゃれやお稽古。とんでもなかったです。働いたことがあまりなく、経済観念もないから。
彼氏でもつくろうかな、、
わたしは、愛されてないのかな、
そんなとき、おもいましたね。


恋をさびしさと、ごっちゃにするころです。

姉もわたしも旅行好きは遺伝です。


カンボジア
インドネシア
インド
リオのカーニバル

これは、人や動物がたくさんでてきて、迷子になったら、死ねる感じ。
ヨガを体験して、おわったあと、オイルギトギトで、服をきました。

母は姉のお気にのシャツをこっそりきてて、緑にしてしまい、ばれたらこわい、どうする、と怯えていました。


のんき
混沌
気楽

10代は、そんなかなあ。
姉はブリトニースピアーズ、パリスヒルトン
ビバリーヒルズくらいならいくけど、汚い国はいやだ、といってました。

母はこれではたいけない
教育あやまった、と急に貧しい国につれだし始めました。
姉はカンボジアエイズ村にいかされ、すこし、人がかわってきました。

 

卒業式
大学の雨降る卒業あたり
わたしに、自立的変化はきてました。


28歳の地図

第6話 終わり


つづく

 

落書きの教科書と外ばかり見てる俺
超高層ビルの上の空 届かない夢を見てる
やりばのない気持の扉破りたい
校舎の裏 煙草をふかして見つかれば逃げ場もない
しゃがんでかたまり 背を向けながら
心のひとつも解りあえない大人達をにら
そして仲間達は今夜家出の計画をたてる
とにかくもう 学校や家には帰りたくない
自分の存在が何なのかさえ 解らず震えている
15の夜-
盗んだバイクで走り出す 行き先も解らぬまま
暗い夜の帳りの中へ
誰にも縛られたくないと 逃げ込んだこの夜に
自由になれた気がした 15の夜

冷たい風 冷えた体 人恋しくて
夢見てるあの娘の家の横を サヨナラつぶやき
走り抜ける
闇の中 ぽつんと光る 自動販売
100円玉で買えるぬくもり 熱い缶コーヒー握りしめ
恋の結末も解らないけど
あの娘と俺は将来さえ ずっと夢に見てる
大人達は心を捨てろ捨てろと言うが 俺はいやなのさ
退屈な授業が俺達の全てだというならば
なんてちっぽけで なんて意味のない なんて無力な
15の夜-
盗んだバイクで走り出す 行き先も解らぬまま
暗い夜の帳りの中へ
覚えたての煙草をふかし 星空を見つめながら
自由を求め続けた 15の夜

盗んだバイクで走り出す 行き先も解らぬまま
暗い夜の帳りの中へ
誰にも縛られたくないと 逃げ込んだこの夜に
自由になれた気がした 15の夜